中学3年生最後の通信簿にあった先生の所見をしみじみと読む

ボクが中学3年生のときの最後の通信簿が出てきた。
そこに、担任の先生からの所見が記されてあった。

「独創性がある」

際立っていたと言っていただいているので、お世辞でもないだろう。

当時の先生は24か26才だったと思うが、ボクは15才だったからおっさんに見えた。
高校進学については、地元高校への集中運動が真っ盛りだったので、市外の高校進学を希望するボクとは意見が対立した。けっこう、激突した。もし、市外の高校に進学するなら内申書を出さないとまで言われた。学年主任の先生も入れ替わりボクを説得しにきた。同級生はほとんどが進路指導のいうとおりに市内の高校に進学した。

結局、ボクは市外の高校に進学することになった。

それから30数年後の中学の同窓会で担任の先生に会った。以前から同窓会があったのは知っていたがスケジュールが合わないので参加できずにいたのだ。

同窓会の席では、偶然に先生の横に座ることになった。ボクは、懐かしい気持ちでいっぱいになった。近況報告などしてしばらく時間が過ぎた。

しばらくして、先生がポツリとこう言った。

今日、君に会えてうれしい。じつは、君が高校進学について意見が対立したことで腹を立てていて同窓会に来ないのかと心配していたんだ。30数年前の話だが、ずいぶんひどいことを言った。すまないことをした。あのときのことをまだ根に持っているのなら詫びたい。

ボクはびっくりした。なにを言われたかは忘れていたし、腹をたてているわけでもない。
そんなことはありません。今までは都合が悪かっただけで参加できなかったんです。

そう答えるのがやっとだった。

先生はニッコリ笑って、良かった。これで肩の荷が下りた。と言われた。
自分の思わぬところで、心配をかけていたのかと思うと申しわけなくおもった。

こうして、当時の通信簿を見ていると、先生の真摯な所見をありがたく思う。
まだまだ「幅広い人間性」は全然だし、「余裕のある人生」もほど遠い。