──「教える支援」をやめた理由
正しいことを言ったはずなのに、何も変わらなかった。
そんな経験はないだろうか。
資料もそろっている。
論理も破綻していない。
その場で反論も出なかった。
それでも、次の週には、いつも通りの景色が広がっている。
「理解はしてもらえたはずなのに」
そんな感覚だけが残る。
私たちはよく、「伝えた」「説明した」「納得してもらった」という言葉を使う。
けれど、それはあくまで話し手側の感覚だ。
相手側では、判断が終わっていなかったり、行動に移す材料がそろっていなかったりすることもある。
振り返りを続ける中で、同じような光景を何度も目にしてきた。
内容は違っても、構図はよく似ている。
話の正しさよりも、その場の空気や立場のほうが、次の行動に強く影響しているように見える場面がある。
そこで、ひとつの疑問が浮かんだ。
「正しい提案」と「動く提案」は、同じものなのだろうか。
教えること自体が悪いわけではない。
知識や考え方を共有することは、必要な場面も多い。
ただ、「教えれば動く」という前提が、いつの間にか自分の中に固定されていないだろうか。
実際には、教えられた瞬間に判断を止めてしまう人もいる。
「それが正解なら、従えばいい」
そう思った時点で、考える主体は相手から離れてしまう。
何を言うかよりも、どう関わるか。
答えを渡すことよりも、一緒に考える立場をつくること。
そうした関わり方のほうが、結果として行動が続く場面があることに気づき始めた。
この連載では、正解を教える話はしない。
すぐに使えるノウハウを並べるつもりもない。
現場で立ち止まったとき、どこを見直すと状況が少し動き始めるのか。
その視点を、ひとつずつ言葉にしていきたい。
正解を伝えることと、判断の視点を共有することは、似ているようでまったく違う。
あなたが「伝えた」と感じたその場で、
本当に共有されていたのは、答えだったのか、判断の視点だったのか。
