人は「理解したから」動くわけではない

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──説明が通じたのに、何も変わらなかった理由

「ちゃんと説明しました」
「理解はしてもらえたと思います」

現場でよく聞く言葉だ。
そして、そのあとに続くのが、
「でも、結局何も変わらなかった」という一言である。

説明が足りなかったのだろうか。
資料が分かりづらかったのだろうか。
つい、そう考えてしまう。

けれど、振り返ってみると、説明そのものは決して雑ではない。
むしろ丁寧すぎるほどで、論理も整っている。
質問が出なかったのも、「分からなかったから」ではなく、
「理解したつもりだったから」という場合も多い。

ここで立ち止まって考えてみたい。
人は本当に、「理解したから」動いているのだろうか。

実務の現場を見ていると、理解と行動の間には、
思っている以上に距離があるように感じる。
頭では分かっていても、体は動かない。
それは珍しいことではない。

行動を決めているのは、知識や論理だけではない。
その場で安心できたか。
自分の立場で引き受けていい話なのか。
周囲との関係性はどうか。
そうした要素が、静かに影響している。

説明が終わった瞬間に、
「これは正解だ」と感じた人ほど、
自分で考える必要がなくなってしまうこともある。
正解が示された以上、判断は保留され、
行動は「誰かの指示待ち」になる。

一方で、すべてが整理されていなくても、
「自分で考えていい」と感じられた場では、
小さな行動が自然に生まれることがある。
完全な理解よりも、納得や関係性のほうが、
次の一歩を後押ししているように見える。

ここで大切なのは、
説明するか、しないか、ではない。
説明の目的が、
「理解させること」になっていないか、という点だ。

理解はゴールではない。
行動に向かうプロセスの、途中にある一つの状態にすぎない。
そこをゴールにしてしまうと、
「分かったつもり」で止まってしまう。

説明が通じたのに動かなかったとき、
内容を疑う前に、関わり方を振り返ってみる。
相手は、考える主体としてその場にいただろうか。
それとも、正解を受け取る側に置かれていなかっただろうか。

人は、「理解したから」動くのではない。
「自分で引き受けられる」と感じたときに、動き始める。
その感覚は、説明の量ではなく、
その場の関係性や空気の中で生まれている。

あなたが説明していたその場で、
相手は「理解する側」だったのか、
それとも「引き受けて考える側」だったのだろうか。

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